ラグジュアリー・歴史・進化・静けさ
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喧騒の先にあるラグジュアリー

執筆者: Gonzalo Gimeno

かつて、ラグジュアリーとはもっと明快なものでした。名があり、訪れるべき場所があり、そこには象徴となるロゴがありました。磨き上げられた大理石のレセプション、隙なくアイロンのかかったユニフォーム、そして世界のどの都市を訪れても、慣れ親しんだ同じ所作で操作できるスイッチが整えられたスイートルーム。ラグジュアリーとは、世界共通の「確かさ」でした。

 

1990年代、大手ホテルブランドに宿泊することは、いわば「確かな品質が保証されたシステム」に身を委ねることを意味していました。精緻なサービス、評価の定まった料理、静けさまで計算された空間、そして洗練された適度な距離感。ファーストクラスで空を飛び、権威あるガイドに選ばれたレストランで食事をし、その時に用意できる最上の客室を予約する。旅行者は、自分が何に対してお金を払っているのかを明確に理解していました。つまり、一定の基準によって保証された卓越性です。

このモデルは、決して表面的なものではありませんでした。そこには、ホスピタリティの高度な専門化、人材育成、そして厳格な品質基準の確立があり、それによって世界のどこでも高水準のサービスを受けられる環境が整えられていきました。大手ホテルチェーンは、急速にグローバル化する世界に、一貫性と安心感、そして安定した品質をもたらしました。ラグジュアリーは、誰もが認識できる国際的なひとつの様式となり、ある意味では、以前よりも手の届きやすいものにもなっていきました。

当時の旅の中心にあったのは、何よりも「目的地」でした。問いはきわめて単純です。「どこへ行くのか」。旅行者の頭の中には、明文化されているかどうかは別として、「一生に一度は見ておくべき場所」のリストが存在していました。

たとえばアルゼンチンであれば、ほとんど定番ともいえる旅程がありました。ブエノスアイレス、ペリト・モレノ氷河、そしてイグアスの滝。地図の上でチェックしていくべき三つの象徴的な場所です。人々は、その国の精神を体現するような「モニュメント」——自然であれ都市であれ——を目指して旅をしていました。ホテルは、そうした世界を眺め、体験するための洗練された拠点でした。旅の経験は明確に区切られていました。訪れ、眺め、そして快適な場所へ戻る。ラグジュアリーとは、並外れたものに触れながらも、不便や煩わしさを感じずに済むことだったのです。

1990年代は、こうした「特別であること」の概念を、ひとつの明確な形として定着させた時代でもありました。それは、世界のどこにいても最高水準を保証してくれるグローバルなシステムに属することでした。そして、その価値は現在も大きく失われてはいません。卓越したオペレーション、隙のないロジスティクス、そして正確なサービスは、今なお大規模なホテルグループが得意とする領域です。

しかし、世界がさらに広がり、都市や人がより密接につながっていくなかで、ほとんど気づかれないほど静かに、別の変化も始まっていました。それまで有名ブランドや象徴的な目的地に集約されていたラグジュアリーの価値が、次第に、もっと輪郭の曖昧な別の領域へと移り始めたのです。従来のモデルが消えていくわけではありません。しかし、そこから少しずつ、その意味が変わり始めていました。

ラグジュアリー・歴史・進化・静けさ

1990年代――「確かさ」としてのラグジュアリー

 

1990年代は、ラグジュアリーが産業として確立された時代と捉えることができます。冷戦の終結と世界経済の拡大を背景に、旅をすることそのものが、ある種の「アクセスできること」の証明になっていきました。世界の主要都市は、投資と海外からの旅行者を呼び込むために競い合い、大手ホテルブランドは、自らのモデルをほとんど外科手術のような精密さで各地へ展開していきました。

ラグジュアリー・トラベラーが求めていたのは、誰もが価値を認めることのできる、明確な基準でした。名の知れたホテルに滞在することは、単に快適さを得るというだけではなく、ある文化的な世界に属することでもありました。星を獲得したレストラン、最前列の席、空港で待つ専属ドライバー。そうした一つひとつが、共通の価値観を伝えるひとつの「言語」を形づくっていました。

そのような時代において、旅の主役は何よりも目的地でした。「見るべきもの」を見るために、人は旅をしていたのです。 氷河は、安全に眺められるよう整備された展望路から観賞し、滝は標識の設けられた遊歩道をたどって巡り、美術館はプライベートガイドとともに訪れる。旅には明確な構造があり、優先順位があり、論理的な順序がありました。

このモデルを単純なものとして片づけることはできません。そこには、体系化された卓越性を求める社会全体の強い志向がありました。一方で、その旅の物語はかなり直線的なものでもありました。世界は、洗練されたかたちで「制覇」していくべき象徴的な場所の集合として提示されていたのです。ラグジュアリーは目に見えるものであり、ひと目でそれと分かり、写真に収めることのできるものでした。 そしてまさに、その「見えること」のなかに、当時のラグジュアリーの強さと、やがて訪れる変化の萌芽の両方が潜んでいました。

本当のラグジュアリーは、「語られないもの」のなかに……
ラグジュアリー・歴史・進化・静けさ
ホテル「ラ・レゼルヴ・パリ」内にあるデュック・ド・モルニー図書館。
ラグジュアリー・歴史・進化・静けさ
ボツワナのジャックス・キャンプでは、サファリ中の夕食は高級ホテルにも引けを取らないほど素晴らしいものです。

2000年代――「発見」としてのラグジュアリー

 

新しいミレニアムを迎えると、旅の地図は一気に広がり始めました。世界経済の成長、地政学的な安定、そして航空ネットワークの発達によって、それまでアクセスが難しかった地域や、文化的に遠いと感じられていた土地への旅が現実的なものになっていきました。ラグジュアリーは、もはや象徴的な場所へ行くことだけを意味するものではありません。まだ誰もが知っているわけではない場所を探し求めることへと、その関心が移っていったのです。

ベトナムやインド、ケニアや南アフリカでのフォトサファリは、次第に洗練された旅の選択肢として認識されるようになりました。セーシェルのビーチや、アフリカのプライベート・リザーブもまた、人里離れた場所へ逃れる旅の象徴となっていきます。ラグジュアリーは、単なる「保証」ではなく、「発見」そのものへと変わり始めました。

さらに、インターネットや初期の大規模なデジタルガイドの普及によって、旅の情報は広く開かれていきました。旅行者は、従来の旅行会社や専門家から与えられる情報だけに頼るのではなく、自ら調べ、自分なりの選択をするようになります。そこから、新たな欲求が生まれました。あらかじめ綿密に演出された旅ではなく、もっと自然なかたちで、その土地そのものを体験したいという欲求です。

アルゼンチンは、こうした変化を象徴する格好の例でもありました。ペリト・モレノ氷河は、もはや観光バスが並ぶ展望路から眺めるだけのものではありません。船で氷河の目前まで近づき、水上から氷が軋み、崩れる音を聞く。あるいはパタゴニアのエスタンシアに滞在し、窓の向こうに広がる風景を、何ものにも遮られることなく味わう。ブエノスアイレスもまた、大通りやタンゴだけの都市ではなくなり、観光客の少ない地区で、食後もゆっくりと会話を楽しむような過ごし方が旅の魅力になっていきました。

アジアでは、伝統的なジャンク船をブティックホテルとして改装し、ハロン湾を二晩かけて巡る旅が登場しました。日帰りの観光客が訪れる前の静かな湾で朝を迎えること自体が、特別な体験になったのです。ヨーロッパでは、古い農家や田園の邸宅を、建築的な美しさを損なうことなく丁寧に再生した宿泊施設が、簡素でありながら完成度の高い滞在を求める旅行者を惹きつけるようになりました。

この頃から、**「ブティック」**という言葉がラグジュアリーの語彙として定着していきます。施設の規模は小さくなり、華美な演出よりも、そこで得られる体験そのものが重視されるようになりました。一見するとラグジュアリーは、より簡素な方向へ向かったようにも見えます。しかし実際には、その価値の中心が、より感情的で個人的なものへと移りつつあったのです。

新時代の「特別さ」は、もはやどれだけ目立つかでは測れません。その土地や空間、サービスに一貫性があり、そこでどのような体験が生まれるかによって、その価値が決まるようになっていきました。
  • マダガスカルのマッサージサロン。
  • ブータンのインフィニティプール。
  • アルゼンチン、フフイ州、サリナス・グランデス。
  •  ルワンダで、ゴリラに囲まれて過ごす。
  • マダガスカルのマッサージサロン。
  • ブータンのインフィニティプール。
  • アルゼンチン、フフイ州、サリナス・グランデス。
  • ルワンダで、ゴリラに囲まれて宿泊。

2010年代――「イメージ」としてのラグジュアリー

 

次の10年に入ると、その変化はさらに加速しました。湾岸諸国の航空会社が、かつてない効率で大陸同士を結ぶようになり、世界は文字どおり、乗り継ぎひとつで届く距離へと縮まりました。 ボツワナやナミビアはハイエンドなサファリ・デスティネーションとして定着し、ネパールには冒険と快適さの両方を求める旅行者が訪れるようになります。ドバイやドーハといった都市は、華やかで大胆な現代性を象徴する存在となっていきました。

しかし、本当の変化は地理的なものではなく、視覚的なものでした。ソーシャルメディアによって、旅は人に見せるための物語へと変わっていったのです。 どこかへ行きたいと思う前に、まずその場所の「絵」を見ている。そんな時代になりました。ラグジュアリーは個人的に味わう体験から、他者と共有される舞台へと姿を変えていきます。インフィニティプール、水上ヴィラ、サバンナで夕陽を眺めながら楽しむピクニック。そうした光景が、無数の画面上に繰り返し現れるようになりました。

旅行者が求めるものも、単に最も広いスイートや最上級の座席だけではなくなりました。求められたのは、完璧な一場面です。念入りに演出されたサンセット、砂漠の只中にぽつんと設けられたテーブル、その瞬間の特別さを一枚に凝縮した写真。体験そのものが、記録され、共有され、再現されることまで意識して設計されるようになっていきました。かつて唯一無二だった「特別な体験」が、再現可能なものになっていったのです。 そして同じイメージが繰り返されるうちに、ラグジュアリーは少しずつ均質化していきました。

ここでも、アルゼンチンはその変化をよく表しています。田園のエスタンシアは、美しく演出された滞在の舞台となり、メンドーサのワインルートもまた、世界のラグジュアリー・トラベルに共通する洗練された表現をまとっていきました。パタゴニアでさえ、やがて誰もが見覚えのある「美しい旅のイメージ」の一部になっていきます。

世界中のあらゆる場所へ行けるようになった一方で、その世界は次第に、どこか似たものにも見えるようになっていったのです。

写真:ジョアンナ・ヴェスティ

2020年代――「ノイズ」としてのラグジュアリー

 

2020年代に入ると、ラグジュアリーはかつてないほど可視化されるようになりました。あらゆるものが「エクスクルーシブ」であり、あらゆる体験が「特別」であり、「二度とない唯一無二のもの」として語られます。しかし、特別であることが当たり前になれば、その言葉は次第に本来の意味を失っていきます。市場には完璧に作り込まれたイメージがあふれ、「唯一無二」という言葉は繰り返されるうちに空洞化していきました。ランキングやリストは増え続け、アワードは乱立し、新しいホテルや施設の開業は何か月も前から大々的に告知されます。ラグジュアリーは、常に照明が当たり続ける巨大な舞台のようなものになっていきました。

そして、その喧騒のなかで、少しずつ別の変化が始まります。旅慣れた旅行者が感じ始めたのは、移動そのものや、新しい場所を発見することへの疲れではありませんでした。むしろ、あらゆる体験が演出され続けることへの疲れでした。常に見せることを求められ、記録し、共有し、そして自分の体験の価値を公の場で証明し続けることへの疲労です。

目に見えるラグジュアリーは、ここで最大限に露出されることになります。そして皮肉なことに、最もよく見えるものになったその瞬間、ラグジュアリーは最も「謎」を失ったものにもなっていったのです。

バイキング体験。
バイキング体験。

現在――「人目に触れない」ラグジュアリー

 

業界が情報を拡散し、注目を集める力をますます高めていく一方で、それとは逆方向の動きも静かに生まれています。意識的に、表舞台から距離を置くという選択です。それは組織化されたムーブメントでも、メディアが大きく取り上げるトレンドでもありません。むしろ、きわめて個人的で静かな意思決定です。

世界各地には、客室数がわずか8室、10室、12室ほどしかないホテルがあります。ランキングに名を連ねることも、アワードを競うこともありません。1泊1名あたり2,000ユーロ、3,000ユーロを超えることも珍しくありませんが、大規模な広告キャンペーンを展開することも、大勢を招いた華やかなオープニングイベントを開くこともありません。目立つ必要がないのです。 「必ず訪れるべき場所」のリストにも登場せず、完璧な一枚の写真を撮るために空間を設計することもなく、話題になることを追い求めてもいません。それでも、予約は数か月先まで埋まり、ウェイティングリストを抱えています。

そこにある価値の中心は、華やかさではなく、一貫性です。風景に自らを主張するのではなく、その延長として存在する建築。石や木、リネンといった素材が、時間とともに美しく歳を重ねていくインテリア。その土地に暮らすオーナーが、企業のマニュアルに従うのではなく、日々その場で考え、判断する運営。そして、アルゴリズムよりも、その土地の時間の流れや季節の変化をよく知る小さなチーム。こうした場所では、ラグジュアリーは声高に語られるものではありません。感じ取るものです。説明されるのではなく、分かる人には分かる。 そのような性質を帯びています。

現在、最も特別な体験のなかには、そもそもデジタル上に存在しないものさえあります。クリックひとつで予約することはできません。誰にでも見つけられるようには設計されていないため、検索しても出てきません。そうした情報は、静かな会話のなかで伝わり、同じ価値観を共有する人から人へと紹介されていきます。

ここでは、旅をめぐる問いも変わります。もはや「どこへ行くのか」ではありません。さらには「何を体験するのか」でもなくなりつつあります。問いは、より静かで本質的なものになります。「そこで、どのように過ごしたいのか」

そして、このわずかな問いの変化のなかに、ラグジュアリーの本質的な転換があります。ラグジュアリーは、より多くを求める「拡張」から、あえて境界を設けることへと変わっていきます。蓄積することから、選び取ることへ。さらに、何かを得るだけではなく、不要なものを手放すことへ。ノイズから距離を置くのも、美意識として演出するためではありません。自らの時間や体験を守るための選択なのです。

この変化の行き着く先は、新しいデスティネーションでも、新しいホテルカテゴリーでもないのかもしれません。もっと根本的なものかもしれません。つまり、公に知られなくても、その価値が損なわれない体験が現れているということです。

写真に撮られないもの。
印刷されたメニューのどこにも載っていないディナー。
ウェブサイトに掲載されていない客室。
誰からも憧れられることを目指すのではなく、ごく少数の人に理解されることを望む場所。

ラグジュアリーが絶え間ないスペクタクルへと変わった世界において、本当の洗練とは、逆説的ですが、姿を消すことにあるのかもしれません。 地図から消えるのではなく、ノイズのなかから消えることです。

ラグジュアリー・歴史・進化・静けさ
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