リチャード・D・ハンセンとマヤ文明の起源
リチャード・D・ハンセンは、約半世紀にわたりグアテマラ北部の密林へ通い続け、マヤ文明史の中でも特に驚くべき一章を研究してきました。ミラドール盆地プロジェクトを率いる彼の調査によって、964か所の考古学的遺跡が確認され、そのうち少なくとも417か所が古代の都市、町、村としてまとまりを持っていたことが明らかになっています。
その中心に位置するのが、巨大都市エル・ミラドールです。その成立年代の古さは、マヤ文明の起源について長年当然とされてきた見方を改めるきっかけとなりました。LiDARなどの技術を用いた調査によって、密林の下から大規模な道路網、建造物、集落群が発見され、従来考えられていた以上に高度で、強く結びついた社会が存在していた可能性が示されています。
ゴンサロ・ヒメノとのこの対話で、ハンセンは考古学者として歩んできた人生、キャリアを決定づけた発見、そして今なおエル・ミラドールが投げかける多くの問いについて語ります。さらに、森林の未来、地域コミュニティの役割、そして考古学的遺産を自然保護と地域発展のための力へと変える可能性についても触れています。
あなたはアイダホ州の農家に生まれ育ったそうですね。考古学者は生まれつきなのでしょうか、それとも後からなるものなのでしょうか。アイダホの少年が、どのようにして今、グアテマラの密林から語る考古学者になったのでしょう?
いい質問ですね。人はある程度、自分がやがて情熱を注ぐことへの素質を持って生まれてくるのではないかと思います。私の幼い頃の記憶のひとつに、『ナショナル ジオグラフィック』をめくったり、View-Masterを覗いたりしていたことがあります。そこには海中の世界やジャングル、遠い土地の写真が映っていました。
5歳のとき、私たちはアイダホ州ツインフォールズから、州南部の小さな町ルパートへ移りました。そこには農地があり、ミニドカ灌漑事業の最後期に開拓された地域のひとつでした。父は畑で黒曜石の矢じりを見つけることがありました。それが私にはたまらなく魅力的でした。何百年、あるいは何千年も前に人の手で作られたものだったからです。
最初は、その物そのものに興味がありました。でもやがて、その背後にある仕組み全体が気になるようになったのです。これは何という石なのか。どこから来たのか。どうやってここまで運ばれたのか。なぜここに残されたのか。どうやって削ったのか。どんな動物を仕留めたのか。まだ6歳くらいでしたが、そうした疑問が頭の中を占めるようになっていました。ある意味では、生まれつきそういうことに惹かれていたのでしょう。
その後は図書館へ行き、廃棄される本をもらったり、手に入るものは何でも読んだりしていました。ただ、考古学者として生活できるとは思っていませんでした。
もうひとつ大きかったのは、教会の宣教師としてボリビアへ行ったことです。狐を鶏小屋に放り込むようなものでした。そこにはインカや、それ以前の時代の遺跡がいたるところにあったのです。時間があれば、いつも遺跡の周りを歩き回っていました。
帰国後、スキーで大事故に遭いました。右脚の膝から下をひどく損傷し、切断寸前までいきました。それをきっかけに、法学部進学のための準備課程をやめ、考古学へ進むことにしたのです。
その後、アメリカのフォー・コーナーズ地域で、アナサジの遺跡を調査しました。次にイスラエルへ渡り、テルアビブ北方の海岸沿いにある遺跡で2年間働きました。その後、ボリビア政府から招かれ、ティワナクでの調査に戻ることになりました。
ちょうどその頃、アメリカの二人の教授から連絡を受けました。グアテマラにあるエル・ミラドールという場所を調査するので同行してほしいという依頼でした。私はすでに建築遺構の調査経験がかなりあったため、大型建造物の調査を任されました。
そこで初めて、これらの都市がどれほど古く、しかも驚くほど複雑な社会を形成していたのかを知ったのです。
そして47年後の今も、私はここにいます。
初めてエル・ミラドールを訪れたとき、どのような衝撃を受けましたか。また、この遺跡が当時のマヤ文明の起源に関する定説を覆すものだと気づいたのは、いつだったのでしょうか?
当時の支配的な見方では、先古典期のマヤ人は比較的単純な農村に暮らす農耕民であり、大規模な都市を築く社会ではなかったと考えられていました。壮大な都市遺構を示す証拠が、ほとんど見つかっていなかったからです。
ワシャクトゥンでは、1927年から1928年にかけてE-VII-subと呼ばれる建造物が発掘されました。高さは約8メートルで、長いあいだ、マヤ低地における先古典期の記念碑的建築を示す最も明確な例のひとつとされていました。そのため、多くの研究者はマヤ文明の最盛期を、西暦600年から800年頃の古典期に置いていました。
私がここで調査を始めたときも、誰もが「古典期の建物があるはずだ」と言っていました。ところが、建物の床面そのものから先古典期の土器が見つかった。そこで私は、マヤ文明の発展に関する従来のモデルそのものが間違っていると気づいたのです。
同僚たちを納得させるまでには20年かかりました。ハーバードやケンブリッジ、マドリード・コンプルテンセ大学といった世界的な研究機関の第一線の専門家たちを相手に、「先古典期に、高さ70メートルを超えるピラミッドを持つ巨大都市が存在していた」と主張したわけですから、当時の反応は「この男は頭がおかしい」でした。
しかし、私たちが正しかったのです。データも正しかった。現在では、ここは先古典期を代表する巨大都市のひとつ、あるいはアメリカ大陸最大の先古典期都市とさえ考えられています。
1983年、エル・ミラドールを離れる途中、妻と幼い娘さんとともに航空機事故に遭いながら生還しました。それでも、なぜここへ戻ったのでしょうか。また、その後もこの地域で研究を続ける原動力となったのは、どのような問いだったのでしょうか?
これほど古い時代の文明を、しかも地表近くに遺構が残っている状態で研究できる機会は、ほかにほとんどありません。ティカルでは、ここで地表に現れているのと同じ時代の層に到達するために、20メートルも掘り下げる必要がありました。ここは、当時の社会を本当の意味で理解するための、きわめて貴重な場所だったのです。
私たちの研究は、大きく三つのテーマを軸に進めています。
ひとつ目は、複雑な社会がどのように誕生するのかという問題です。何が、ある社会を古代世界を代表する大文明へと発展させるのでしょうか。同じ熱帯雨林に暮らしていたほかの社会は、まったく異なる道をたどっています。なぜそのような違いが生まれるのか。どのような条件が、社会をこれほど高度な段階へと押し上げるのかを考えています。
二つ目は、その複雑さを維持する仕組みです。人口が増え、社会が複雑化し、高度な文明へと発展していくためには、どのような社会的、政治的、経済的安定が必要なのでしょうか。そして、その状態を維持するには何が必要なのかを研究しています。
三つ目は、人口が完全に失われるほどの崩壊を引き起こす要因です。なぜ人口そのものが消滅するほどの危機が起こるのか。その原因を探っています。
この三つが、ここで私たちが追い続けている問いです。そして、ある意味では、この問いこそが私を長年この地域につなぎ止めてきたのだと思います。
考古学は、断片的な証拠から複雑な社会を復元していく学問です。事実と解釈の境界はどこにあるのでしょうか。また、複数の分野が関わることで、どのように信頼できる結論に近づくことができるのでしょうか?
重要なのは、結果を繰り返し確認できることです。先古典期の建造物をひとつ発見しただけでは、そこに先古典期の都市があったとは言えません。信頼できる主張をするためには、複数の先古典期都市、複数の遺跡、そしてそれぞれのさまざまな地点で発掘を行う必要があります。
これは科学的なプロセスです。まず問題を特定し、研究上の仮説を立てます。その後、資金を確保し、政府の許可を得て調査を実施し、証拠が蓄積されるたびに仮説を検証し、必要に応じて修正していきます。
ひとつの仮説は、複数の研究分野から検証されなければなりません。つまり、研究は学際的である必要があります。言い換えれば、私は絶対的な真実が存在すると考えています。あなたが何が起きたと思うか、私が何が起きたと思うかはあります。しかし、本当に重要なのは、実際に何が起きたのかということです。
研究に関わる分野が多ければ多いほど、私たちが真実を求めている限り、同じ結論へ収束していく可能性は高まります。それが目標です。科学的な真実に近づくことです。
現在、この地域では11の研究分野が関わっています。鳥類学、生物学、爬虫両生類学、地質学、地形学などです。昆虫についても大規模な調査を進めており、この盆地に生息する昆虫についての書籍も出版しました。ランについても研究しており、地域全体の植物相を扱った重要な書籍もまもなく刊行する予定です。
植物学者、生物学者、地形学者も、この研究には欠かせません。真実を求めるのであれば、それぞれの研究が、同じ結論へ近づいていくための助けになるからです。
あなたは、ミラドール盆地でこれまで最大規模となるLiDAR調査を主導しました。この技術はどのように機能し、盆地の規模や構造について何を明らかにしたのでしょうか?
LiDARとは、Light Detection and Ranging、つまり光を使って距離を検出・測定する技術です。この地域で最初にLiDARを使ったのは、ベリーズで調査していたアーレン・チェイスです。その後、イサパでも使われましたが、そこは牛の放牧地のような地形でした。その結果を見て、「ここでもやらなければ」と思ったのです。
古代都市が数多く存在することは分かっていました。しかし、それをどう証明するのか。私たちはすでに、5、6か所の大都市を地図化するだけで数百万ドルを使っていました。本当に、地図を作るだけで莫大な費用がかかっていたのです。
LiDARはレーザーを使うシステムで、当時私たちが使用した装置は1秒間に65万点を記録していました。現在では、1秒間に100万点を記録できるドローンを使っています。調査飛行は合計158時間に及びました。得られた膨大なデータを処理するのに3年かかり、盆地全体を切れ目なく調査しました。
ほかのプロジェクトのように、個別の遺跡だけを選んで調査したわけではありません。私たちは盆地全体を連続して地図化しました。その結果、非常に興味深いことが分かりました。人間が残した文化的な痕跡だけでなく、地形、地形形成の過程、水系、土壌の化学組成まで同時に把握することができたのです。
それによって、古代の人々がこれほど厳しい環境にどのように適応し、どのような人工的な工夫を生み出したのかを理解できるようになってきました。
調査では、964か所の考古学的集落が確認されました。そのうち775か所は盆地内部、189か所は周囲のカルスト地形の尾根に位置しています。これらを整理すると、少なくとも417の古代都市、町、村に分けることができます。これほど高密度に古代の集落が集中している例は、世界でも有数だと思います。だからこそ、私たちはこの地域を保護する価値があると考えています。
エル・ミラドールでの調査によって、支配者や巨大建造物だけでなく、そこに暮らしていた人々の数や人口密度についても、マヤ社会への見方は変わりましたか?
特に大きく変わったのは、人口密度に対する認識です。現在、盆地の内部には恒常的な集落はありません。約65万ヘクタール、6500平方キロメートルほどの森林地帯で、その大部分には道路すらありません。
私たちは二つの方法で人口を推定しています。ひとつは実験です。土や石を実際に運び、1立方メートルの資材を動かすのに何人が何日必要なのかを測りました。さらに採石場を発掘し、石器を回収し、その道具を使って石材を切り出す工程も再現しました。
そうすることで、必要だった労働量を推定できるようになります。エル・ミラドールのラ・ダンタを建設するには、延べ1200万から1500万人日ほどの労働が必要だったと計算しています。1500万人日というのは、一人で行えば4万1000年以上かかる計算です。
建造物の石積みは、基部から頂上まで同じ特徴を保っています。そのため、ひとりの支配者の治世中に建設された可能性が高いと考えています。仮に在位期間を30年とし、農閑期などを利用した季節労働だったとすると、この複合施設だけでも、その期間を通じておよそ4000人の労働力が必要だったことになります。
しかも、この地域には同じ時代に建てられた建造物が何千もあります。それを考えると、人口規模がどれほど大きかった可能性があるか、ある程度想像できるでしょう。
もうひとつ重要なのは、地表には建造物の痕跡がまったく見えない場所でも、10センチから15センチほど掘るだけで、柱穴のある突き固められた土の床や、その上に残された土器が見つかることです。
古代都市を地図化し、人口を推定する従来の方法では、住居跡の盛り土を数え、それにユカタン半島の現代マヤの世帯を参考にした平均5.2人という数字を掛けます。それで大まかな人口を算出します。しかし、地表に盛り土を残していない住居が存在する場合、どうやって人口を計算すればよいのでしょうか。
私たちが見ている証拠は、非常に高密度な人口集中を示しています。バホと呼ばれるこの地域の湿地帯でさえ、掘るたびに日常生活に使われた土器が見つかります。つまり、先古典期には湿地の中に高床式の住居が建てられていた可能性があります。バホもまた、高密度に居住されていたのかもしれません。
こうしたことから、エル・ミラドールの広域圏には数十万人が暮らし、盆地全体では数百万人に達していた可能性さえあると考えています。ただし、これはまだ推定です。住居跡が地表に残っていない地域についても、利用できる証拠から妥当な人口推計を導き出せるよう、現在も計算モデルの開発を続けています。
マヤ文明は、互いに争う都市国家の世界として語られることが多いですが、なぜミラドール盆地は、より中央集権的で統合された政治システムとして機能していたと考えるのでしょうか?
マヤの都市同士は、頻繁に戦争をしていました。たとえば古典期には、カラクムルとティカルが長期にわたって対立していました。カラクムルはティカルを封じ込めるため、カラコル、ラ・コロナ、そして盆地南部のいくつもの都市と同盟関係を築きました。ナランホとティカル、トニナとパレンケの間にも、大規模な戦争があったことを示す証拠があります。
都市国家や地域勢力同士が繰り返し争う構図で、ヨーロッパで城を拠点とする勢力が対立していたのと、ある意味では似ています。
しかしミラドール盆地については、都市と都市を結ぶ巨大な道路網が、より一体的で中央集権的なシステムの存在を示していると私は考えています。幅40メートルもある壮大な道路を、敵の都市に向かって造る人はいません。
あれほど高度な社会を成立させた重要な要素のひとつが、発達した交通・通信システムでした。たとえばスペインには、素晴らしい鉄道網があります。こうしたインフラによって、ひとつの地域が結びついていくのです。
人や物資が各地を行き来できるようになることで、社会の統合は進みます。スペインでは鉄道網がその役割を果たしています。アメリカには複雑な高速道路網があります。皆さんの国のような鉄道網を造るほど私たちは賢くありませんでしたが、高速道路はあります。そしてアメリカも、大陸横断鉄道が完成するまでは、本格的な産業化の時代には入れませんでした。
交通網が整備されれば、物資を運び、社会をより強く結びつけ、地域間の交換を促すことができます。ある都市でトウモロコシが不足すれば、別の都市から運べばいい。それによって、複雑な社会と統合された行政システムを発展させることが可能になります。ローマ帝国ほどの規模ではありませんが、基本的な考え方は同じです。これは世界のさまざまな地域で繰り返し現れてきたパターンなのです。
湖や川から離れた場所で、これほど高度な社会を環境はどのように支えていたのでしょうか。そして、その後、天然資源の消費はどのように文明の崩壊へつながったのでしょうか。その歴史から、現代の私たちは何を学べるのでしょうか?
実際にそういうことが起きました。そして現代の政府にも、同じような考え方が見られます。人口が激減したり、大都市が放棄されたりする理由を理解するには、まず、そもそも何がその都市を繁栄させたのかを理解しなければなりません。
なぜエル・ミラドールは、大量の水があり、魚が獲れ、夕方には心地よい風が吹くペテン・イツァ湖のほとりに造られなかったのでしょう。なぜこれほど巨大な古代都市が、メソアメリカで最も湖や川から遠いともいえる場所に築かれたのでしょうか。
答えは、かつての湿地にあった泥です。当時、バホと呼ばれる低湿地帯は現在のように樹木で覆われておらず、草の生える湿地でした。人々はそこから、いわば堆肥のようなものを得ていました。湿地の底にたまった泥には、有機物や栄養分、肥料となる成分が非常に豊富に含まれていたのです。
彼らはその泥を何千トンも運び、盆地全体に広がる複雑な段々畑のシステムで利用しました。私たちは各地でそのテラスを発見しています。先古典期のマヤ人は、同じ農地を何世紀にもわたって耕しながら、薄い泥の層を加えて土壌を再生し、繰り返し作物を育てていたのだと私は考えています。それによって、非常に高い農業生産力と経済力を得ることができました。
それほど豊かで余裕のある社会だったからこそ、大規模な建設事業を行い、古代都市同士を結ぶ巨大な道路網を築くことができたのです。非常に高度で、統合されたネットワークでした。実に優れたシステムで、長いあいだうまく機能していました。
しかし大きな社会でも、文化でも、あるいは個人でもそうですが、豊かさが増しすぎると、やがて慢心が生まれます。現実が見えなくなり、そもそも自分たちを繁栄へ導いた原則を忘れてしまう。彼らの場合、次第に建造物や大通りを、より豪華で誇示的なものへと変えていきました。
現在、私たちがかつての湿地だったバホを発掘すると、肥沃な有機質の泥の層が、何メートルもの不毛な粘土の下に埋まっているのが見つかります。厚さは2〜3メートルにもなります。都市に生命と繁栄をもたらし、巨大な人口を支えていた肥沃な泥が、それほど大量の堆積物に埋もれてしまった原因は何だったのでしょうか。
これほどの堆積を引き起こすには、何らかの大規模な森林伐採が起きていたはずです。そこで私たちは、石灰モルタルの使用に注目するようになりました。
その実態を調べるため、私はチームを6年間にわたりメソアメリカ各地へ派遣し、石灰を作るためにどれだけの木材と石灰岩が必要なのかを調査しました。その結果、生石灰1トンを作るには、約5〜6トンの生木と、さらに5〜6トンの石灰岩が必要であることが分かりました。
次に、それを建造物に当てはめて計算しました。たとえばエル・ティグレのピラミッドでは、表面を覆う漆喰の厚さを測定しました。公表した推計では、エル・ティグレに最後に塗られた漆喰の層だけを作るために、約163ヘクタール分の森林を伐採するのに相当する木材が必要だったと算出しています。しかも、それはその一工程で使われた石灰だけの話です。
石灰の消費量を計算すると、それが森林減少の一因となり、その後の浸食によって石灰質を含む粘土が湿地へ流れ込み、肥沃な有機質層を何メートルもの不毛な堆積物で覆ってしまったのだと私は考えています。
ここで重要なのは、一時的な放棄と、本質的な崩壊を区別することです。都市は壊滅的な被害を受けても、後に再建されることがあります。第二次世界大戦後のドレスデン、広島、長崎がそうでした。
しかし、ある都市を支えていた条件そのものが深刻に変化し、人々が簡単には戻れなくなったとき、それは「崩壊」になります。
したがって問うべきなのは、特定の政治的危機が終わった後も残り続ける環境破壊が、どこで起きているのかということです。
古代メソポタミアの一部では、灌漑による塩害が農業の長期的な衰退に影響しました。チェルノブイリ周辺では、場所や放射性核種によっては、放射能汚染が数十年、あるいは数世紀残る可能性があるため、今なお立ち入りなどに制限が設けられている地域があります。
根本にある問題は、誇示するための消費です。現代には、金張りの便器で用を足す人さえいます。金の便器は必要でしょうか。必要ありません。では、なぜ持つのか。買えるからです。
私たちは異なる時代の建物表面の仕上げを測定しましたが、その厚みは時代とともに次第に増していき、時には驚くほど分厚くなっていました。それほど大量の石灰漆喰で建物を覆う必要があるのでしょうか。ありません。ただ、それができるからやるのです。
しかし、そうした行動には結果が伴います。それでも人は現在だけを見て、このまま同じ道を進めば何が起きるのかを考えない。
そこに、考古学という学問の特別な価値があります。文明がどのように生まれ、どのように複雑さを維持し、そしてどのように自らの基盤を損なっていくのか。その一連の過程を見せてくれる数少ない学問のひとつなのです。私たちは、その歴史全体を見ることができます。
現在、エル・ミラドールに最も差し迫って必要なのは、資金、人材、認知度、それとも法整備でしょうか。また、その必要性は、この遺跡がグアテマラにもたらし得る可能性と比べて、どのように捉えていますか?
最も切実に必要なのは、すでに調査を終えた建築遺構を発掘し、保存するための資金です。私たちのチームは、LiDARによって確認された集落群のうち56か所を実際に現地で調査しました。どの建造物が特に重要なのか、どの遺跡が将来、大きな観光資源になり得るのかも把握しています。
先古典期の非常に優れた壁画や記念碑がどこに埋まっているのかも分かっています。しかし、それらは今も土の下に隠されたままです。発掘後に守る警備員を雇う資金がないからです。必要な資金さえあれば、世界でも有数の専門家から訓練を受けた私の専門スタッフと、現在ここで働いている250人の作業員によって、遺跡を発掘し、保護し、さらに地域全体へ広がる経済活動につなげることができます。
盆地周辺のコミュニティは、森林コンセッションに経済の一部を依存しています。私は、観光が加わることで、森林を伐採せずに残しておくこと自体に新たな経済的価値を持たせられると考えています。
私の考えでは、森林開発のために造られた道路も問題を引き起こします。違法な物資を運ぶルートとして利用されやすくなるからです。一方で、グアテマラのような国にとって、観光はひとつの大きな解決策になり得ます。ドイツ、日本、韓国、中国、アメリカと工業力で競争するのは難しいでしょう。しかしグアテマラには、ほかの国にはないものがあります。それこそが、この国にとっての「金の卵を産む鶏」です。
問題は、その価値が十分に理解されていないことです。鶏を殺してしまえば、金の卵を取り続けることはできません。健康に保ち、餌と水を与えなければならない。そうすれば、卵を産み続けてくれるのです。
これらの古代都市には、国に大きな収入をもたらす可能性があります。同時に、これまでよりはるかに効果的な自然保護のモデルを生み出すこともできます。それによって、この森林を深刻な脅威から守ることができるでしょう。そしておっしゃる通り、そのモデルは経済的に成り立たなければなりません。利益を生まなければ、決して持続しません。
私たちが直面している問題は二つあります。
ひとつ目は、ここで活動を続けるための資金です。これは常に最大の問題です。私たちの仕事には年間数百万ドルが必要です。しかし、私にはそこから毎年資金を引き出せるような基金はありません。フィールド調査を行うために、毎年必要な資金を一から集めなければならないのです。資金調達は極めて重要です。
二つ目は、社会のさまざまな層に存在し、自然保護に関心を持たない腐敗の問題です。最近の推計では、マヤ生物圏保護区では牧畜地の拡大によって、年間1万ヘクタール以上の森林が失われているともいわれています。その圧力は、盆地の西側の境界にまで迫っています。
観光によって、エル・ミラドールの考古学的・自然的遺産を持続可能な経済へと変えながら、森林を守ることはできるのでしょうか。また、現在そのモデルの実現を妨げているものは何ですか?
ティカルには年間37万人を超える観光客が訪れ、グアテマラに大きな直接・間接収入をもたらしています。年間2億米ドル以上の経済効果があるとする推計もあります。
私たちが伝えたいのは、この地域でも非常に大きな観光経済を育てることが可能だということです。ただし、その影響は最小限に抑え、管理されなければなりません。そして当然ながら、適切な環境評価と考古学的評価を行う必要があります。
たとえば私は、マウンテンバイクによるアクセスを整えることを提案しています。問題の一部は、日々生きていくための差し迫った必要が大きすぎて、人々が将来のことまで考える余裕を持ちにくいことにあると思います。
どのような観光モデルであっても、地域社会がその利益を実感し、共有できなければ成功しません。現在、地域住民はどのような役割を担っているのでしょうか。また、観光を森林伐採や牧畜に代わる現実的な選択肢にするためには、何が必要でしょうか?
地元の人々を雇い続け、育成するための資金が必要です。先古典期の建築を修復し、維持する技術を学び、観光客が何を求めているのかを理解し、読み書きを身につけ、観光に本格的に関われるだけの専門技術や接客能力を習得してもらう必要があります。
場合によっては、本当に基礎的な能力から始めなければならないでしょう。それでも、そこに未来と可能性があります。
道路や滑走路を造って森林への圧力を高めることなく、エル・ミラドールを訪れやすくするにはどうすればよいのでしょうか。自然・文化保護区の設置と、地域コミュニティが運営する交通システムという構想について教えてください。
ここを世界有数のデスティネーションへと育てる可能性があります。現在グアテマラ議会で審議されている法案6589号は、この盆地を道路も滑走路もない自然・文化保護区として指定することを提案しています。
議員たちは科学的な資料を読み、行動が必要だと判断し、この法案を提出しました。
ここは実際にひとつの盆地です。地質学的、水文学的研究からも確認されています。高い台地の上にあるため、水が低湿地にたまります。乾季には完全に乾きますが、雨季には水に覆われます。
さらに、この地域には非常に多くの古代遺跡があり、大きな観光資源になる可能性があります。道路も滑走路もない保護区として指定すれば、地域コミュニティをその仕組みの中に組み込むことができます。私たちは、地域住民が運営する小規模な鉄道を提案しています。
その鉄道を古代の道路跡に沿って走らせれば、新しい自動車道路を造らずに済みます。
編集部注:2026年8月10日時点で、グアテマラ議会の公式記録では、法案6589号は2025年11月18日に本会議へ提出され、環境・生態・天然資源委員会に付託されています。現時点では、まだ法律として成立していません。
国際的な資金によって支えられるプロジェクトと、グアテマラ人自身によるリーダーシップを、どのように両立させることができるのでしょうか。また、グアテマラの考古学者たちが公の場で中心的な役割を担い、この規模の研究に必要な資金調達まで行えるようになるのは、いつだと考えていますか?
観光の重要な点は、地域全体に経済の循環を生み出すことです。高級なエコロッジであれば、ニンジン、牛乳、トマト、肉などが必要になります。それらはカルメリタで調達できます。しかし、地域の指導者たちが森林伐採や牧畜によって利益を得ているのであれば、なぜ別の選択肢を望むでしょうか。
私のチームには、グアテマラ人の考古学者が40人います。この仕事を進めるためには、同じ考え方を大統領にも、コミュニティで最も貧しく慎ましく暮らす人にも説明できなければなりません。どちらか一方と話せる人材はいます。しかし、その両極を含むすべての人と意思疎通できる人は、ほとんどいません。
さらに、資金を集められなければなりません。必要な数百万ドルをどうやって調達するのか。私たちはまさに、それをここで学ぼうとしています。この地域で40年間働き続けてきた、非常に優秀な人材もいます。彼らなら、将来その役割を担えるでしょう。
ひとつ目の問題は、どうやって資金を集めるのかを知らないことです。二つ目は、大規模な国際資金にアクセスし、このようなモデルを社会のあらゆる層に分かるよう説明するための能力を身につけることです。
私は、これを自分のものにして経済的な利益を得たいとはまったく思っていません。グアテマラの人々のものになってほしいのです。ただ、その機会を生かすための能力と自信を育てることは、また別の課題です。
可能性はあります。必要なのは、それを誰にでも理解できる言葉で説明できる人たちです。
約半世紀にわたり関わってきたエル・ミラドールは、あなたに何を与えましたか。人間という存在への見方は、どのように変わりましたか。また、どのようなものを未来に残したいと考えていますか?
人類という長い物語、人間の歴史の重要性を理解する助けになりました。私たちは今まで世界が目にしたことのなかった一ページを、その物語に加えようとしています。
それだけでも十分に価値があります。過去を理解することで、現在に何ができるのかを考えられる。そして歴史の教訓に耳を傾ければ、将来の惨事を避けられるかもしれません。
考古学的な仕事そのものにも誇りを感じています。ここには優れた専門家たちがいます。発掘した美術や建築を守るため、ポリカーボネート製の屋根を使った保護システムも開発しました。先古典期の優れた遺産を傷つけることなく、一般の人々に見てもらうための方法を探しています。
このプロジェクトには、地域の人々を参加させるという可能性もあります。仕事が終わったあとには、夜間学校を開いています。そこで彼らは読み書きを学び、自分の名前を書くことを覚えます。署名の代わりに、インクをつけた指で拇印を押す必要がなくなるのです。
家へ帰ったときに、子どもへ短い物語を読んであげられるようにも教えています。それは、ひとつの家族にとって何を意味するでしょうか。人間としての尊厳を、どれほど高めることになるでしょうか。
自分自身をどう見るか、自分が世界の中でどのような場所にいると感じるかまで変える可能性があります。
そして、自分の仕事には意味があり、自然を守ることにも価値があるという意識を強めることにもつながります。
考古学の仕事を超えて、私が最も誇りに感じることのひとつは、ひとりの男性が初めて自分の名前を書けるようになるのを手伝うことなのです。
ひとりの父親に、3歳の娘へ物語を読んであげる方法を教えることができます。それは、その人にとって何を意味するでしょう。ひとつの家族にとって、コミュニティにとって、そして最終的にはひとつの国にとって、どのような意味を持つでしょうか。
ここで人々により多くの知識と、より多くの選択肢を持てる力を与えることができれば、それは国そのものを強くします。
私が残したいのは、そういうものです。より豊かな暮らし、より効果的な自然保護、そしてこれまで以上に力強く、自分たちの文化的・国家的アイデンティティを示していける機会です。